『蛙に学ぶ』

「かえる」についてのさまざまな知見を得て、さらに「かえる」が人間文化とどのように関わっているのか、を調べています



蛙昇天

「蛙昇天」上演期間:2015年3月15日
場所:りゅーとぴあ
観劇日:2015/3/15

第4回新潟演劇祭で上演された「蛙昇天」見てきました。
原作は、木下順二作「蛙昇天」。
蛙昇天

以下は、かえる通信103号に寄稿した、日本カエル文学史『蛙昇天』と『蛙昇天』観劇感想です。

 
『木下順二集〈4〉蛙昇天・民話と現代』
著:木下順二
発行:岩波書店 (1988/05)

日本カエル文学史『蛙昇天』

木下順二(1914~2006年)は、大正3年8月2日、東京市本郷区(現東京都文京区本郷)に生まれた。
少年時代を故郷の熊本で過ごした以外は、生涯を東京で過ごしている。
1936年、東京帝国大学文学部英文科に入学、中野好夫のもとでシェイクスピアを専攻。
第二次世界大戦後、明治大学講師に就任した。

『彦市ばなし』など民話劇を手がけるようになり、1949年には彼の代表作となる『夕鶴』(民話「鶴の恩返し」を定本とした戯曲)を発表。
世界10ケ国以上の言語に翻訳され、オペラにもなっている。

そして、その後に発表された戯曲が『蛙(かえる)昇天(しょうてん)』(※1)(1951年 雑誌「世界」6、7月号)である。

池の底で、われわれ人間と似通った平穏な生活をしているアオガエルたちがいる。
そこに突如大きな岩(人間にとってみれば石)が落下して、カエル教授の頭を直撃!
それを目撃した別のカエルは「諸君、これは陰謀である」と騒ぎ始める。

一石を投じられざわつく池に、もうひとつの波紋が起こった。
戦争の後、アカガエル族の住む池で捕虜となっていた、アオガエルたちの帰還が始まったのだ。
アオガエルたちとアカガエルたちの政治思想は相容れないもので、そんな「アカガエルの池から帰って来た捕虜たちはアカガエルの教育思想がなされている」といい出すものがあらわれた。
アカガエルの通訳をしていた純粋な青年シュレは、真実をありのまま話そうとするあまり、思いもよらぬ政治の渦に巻き込まれていくのであった。

この長編戯曲には、前年に起こった国際政治事件「徳田要請問題」が下敷きになっている。
1950年2月8日、旧ソ連からの引揚船『高砂丸』が384人を乗せ舞鶴に帰着。
当時の日本共産党書記長、徳田球一が、ソ連側へ「共産主義教育が徹底された者でなければ帰国させないでほしい」と要請したことにより、捕虜となっていた者たちは「そのことで帰国が遅れた、その事実を明らかにしてほしい」と首相、衆参両院に懇請したことに端を発する。

主人公シュレのモデルは、本人もソ連側の捕虜となり通訳として収容所で働いていた、菅季治(かんすえはる)である。
菅は「徳田要請問題」で2回の証人喚問を受け、自分の実直な訴えが通らないことに絶望して36歳で自殺した。

この題材を別段カエルで描く必然性もないのだが、木下曰く「例えば蛙の世界に置き換えることで、現実を離れた現実として、事件を典型化することはできないか。」(※2)と語っている。
『蛙昇天』の発表後、スパイ・ゾルゲ事件を題材にした『オットーと呼ばれる日本人』(1963年)、東京裁判を描いた『神と人とのあいだ』(1972年)など、積極的に社会問題に取り組んだ。
演劇賞の受賞歴は多いが、日本芸術院会員や東京都名誉都民など国家的名誉はすべて辞退するなど、自身の思想に忠実だった。
2006年、肺炎により92歳で死去。

1(木下順二集〈4〉 1988/5/26 岩波書店)
ただこの題はカエル昇天と読んで頂きたい。
大した理由もないのですが、題を考えた最初から、「カワズ」という音は僕の頭の中に浮かんでいませんでした。
それからこれは冗談ですが、しかし実話ですが、ある人はこの戯曲の題名を誰かから耳で聞いて「買わず商店」だと思いこんでいたと僕にいいました。“不買同盟”問題の芝居だと思っていたのだそうです。

※2(木下順二集〈4〉 1988/5/26 岩波書店)
『蛙昇天』の場合は、執筆前年に起ったなまなましいあの大事件を人間の登場する芝居として書いたのでは、どうしても現実に拘束され、観客の持っている現実の知識によって芝居の内容が限定されてしまうと考えた。
かといって架空の国などを持ってくれば、現実との間隙が却って空疎な印象をつくってしまうだろう。
ならば例えば蛙の世界に置き換えることで、現実を離れた現実として、事件を典型化することはできないか。
---そして、どこまで成功したかは分らないその典型化が、蛙の世界ということと相俟って、現代の事件を一種民話化したということになったのだろうと思う。



『蛙昇天』観劇感想
蛙昇天 64年前に書かれた木下順二の戯曲『蛙昇天』(1951年発表)が、現在によみがえりました。
東日本大震災をきっかけに「時代と地域に残る作品創造」をテーマに掲げ、仙台という地で、1年間をかけて演劇制作に取り組むプロジェクト「CREATIO ATELIER」の第1回公演がそれです。

 戯曲『蛙昇天』を読んだのはもう20年も前のことで、日本カエル文学史の紹介にあるように、1950年に実際起こった国際政治事件の時事ネタを土台にしており、現代の人にはピンとこないだろうな、と読んでいた当時も思ったものでした。
『蛙昇天』は、発表した翌52年には単行本化され、同6月に「ぶどうの会」により三越劇場で初演されています。
社会的背景を持つ内容だったからか、それ以降めぼしい上演はなく、劇団三機会(現 東京演劇アンサンブル)による67年の公演記録が残るのみとなっていました。

よもやこの作品を、自分が生きているうちに生の舞台で鑑賞できるとは夢にも思っていなかったので、公演情報を知るや否や、すぐにチケットをゲットし、いそいそと赴いた訳です。

200人ほどの客席は満席。
わざと大きな会場ではなく、観客を身近に感じるような小劇場を選んで上演しているように思われました。
舞台幕はなく、まだ照明のあたっていない舞台には、岩陰を模したパネルが重なり合うように奥へ奥へと配置されています。

ゲロゲロ。グワァグワァ。
まだ暗い舞台のあちこち物陰から、録音でも効果音でもなく、これから演じる役者たちがカエルの声マネしているのが聞こえてきます。

いよいよ上演開始です。
そして、落ちて来た岩についての演説がぶたれます。
「諸君はこれを何と心得るか?これこそは陰謀である!」

そこから、アオガエル族の長い長い論争の幕が切って落とされるのです。

作品自体なかなかの長編で、休憩を2回も挟んで上演されました。
政治的背景があるという先入観が自分にはあったはずなのに、いざ舞台で鑑賞してみると、演出家の妙か、役者たちの好演の成果か、現在でも十分に主人公の苦悩や、問題を大きく担ぎ上げようとした周囲の身勝手な言動など、グイグイと舞台に立つキャラクターたちに引き込まれていました。

この舞台には、パンフレットがありました。
しかし読んでみても、プロデューサーがなぜ『蛙昇天』を選んだのか書かれていません。
しかしながら、劇団発足のきっかけとなった東日本大震災を経験した宮城の地だからこそ、数多くのモノが失われ、日々の生活もままならない体験をしたからこそ、人が生きるために必要な「創り出す」という基本を、より強く感じたのだと思います。

青年シュレの言葉がそれを気づかせてくれます。

「僕がこの眼で見た、この耳で聞いた
 間違いのないただ一つの事実をいって
 帰ってくるつもりであそこへ行ったんだ」

64年前のことだろうと、4年前のことだろうと、語り継がれなければ風化してしまう。
あの時、体験し、感じたことを、次の世代へバトンを確実に渡す、という思いで『蛙昇天』が選ばれたのではないかなと、想像してみるのです。
蛙昇天
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