『蛙に学ぶ』

「かえる」についてのさまざまな知見を得て、さらに「かえる」が人間文化とどのように関わっているのか、を調べています



「おやゆびひめ」特集

翻訳違いで味わう日本語シリーズ!

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(wiki)の「おやゆびひめ」を原作としている作品を紹介しています。

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下にいくほど日本出版年が古いです。

「親指姫」はアンデルセン童話集第二集として、1835年に発表。
カエルの登場から、スイレンの葉に親指姫を運ぶまでを引用します。
訳者の違いによって、印象がどうかわるのか、お楽しみください。
特に、ヒキガエルの容姿の描写や、息子ヒキガエルの鳴き声にご注目!

ストーリーを忘れてる方は、青空文庫でも読めるよ。→「おやゆび姫

アンデルセンの「親指姫」において、ヒキガエルがこういう扱いになっているのは、彼の信仰と関係があります。
アンデルセンは生涯において聖書信仰を貫き、物語は聖書の教えを象徴して画いています。

聖書において、ヒキガエルは、その不気味さから忌むべき生きものであり、汚れた霊の比喩としてあらわされます。

「親指姫」では、悪い習慣に捕えられ、その汚れの中で居心地をよくさせるような比喩として登場させています。

 
『おやゆびひめ』
発行:BL出版 2013年10月25日初版(1987年スイス刊行)
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:リスベート・ツヴェルガー
作:江國香織

1882年かど創房発行を江國香織の新訳として再刊。
表紙の絵からもわかるように、日本人のイメージする「小さく女の子」とは程遠い感じの「女性」で書かれている。
でもカエルの描写は、割と好きです。

ある夜、おやゆびひめが小さなくるみのベッドで眠っていると、窓の、ちょうど割れていたところから、みにくいヒキガエルがびたんととびこんできました。
大きくて不器用で、つめたく濡れたヒキガエルです。
テーブルにとびのり、赤いバラの花びらをかけて眠っているおやゆびひめを見つけると、
「うちの息子のお嫁さんにぴったり!」
と言いました。
くるみの殻を、おやゆびひめごとつまみあげ、びたん、びたんと跳ねながら、割れた窓から外にでて、夜の庭に姿を消しました。
このヒキガエルは、大きくて幅のひろい川のそば、ぐちゃぐちゃの泥でできた土手に、息子と住んでいました。
この息子というのがまたお母さんにそっくりの、みにくくて気味のわるいヒキガエルなのでした。
眠っているかわいらしい女の子を見たときも、
「ゲロゲロ!ゲロゲロ!ゲロゲロ!」
としか言えないような息子でした。
「静かにおし!この子が目をさましちゃうじゃないの」
ヒキガエルの母親は言いました。
「逃げられたらどうするの?白鳥の羽根みたいに軽い女の子なんだから。大きなスイレンの葉っぱにのせて、水に浮かべておくとしようかね。この子はひどくちっぽけだから、島にいるのも同然で、そうすりゃ逃げられないからね。そのあいだに、この泥のなかに、お前たち二人の新居をこしらえよう」
その川には、たくさんのスイレンがあり、たくさんの、大きな緑の葉っぱが水面に浮かんでいました。
ヒキガエルの母親は、いちばん遠くにある、いちばん大きな葉っぱまで泳いでいき、そこに、おやゆびひめをくるみの殻ごと、置いてきたのでした。



『おやゆびひめ』
発行:偕成社 2007年3月初版
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:北見葉胡
訳:蜂飼耳

北見葉胡(ようこ)氏の画く、息子のカエルが、なんとまあデキが悪そうで、ぼけ~っとしてて、いい感じになってます♪

ある晩のこと。
おやゆびひめが くるみのからのベッドで ねむっていると、みにくい ひきがえるが すきまから しのびこんできました。
テーブルの上へ すとんと とびおり、ひきがえるは いいました。
「うちの むすこの 嫁に ぴったり。」
そうして、くるみのからを かついで、まどをぬけ びょんと にわへ とびおりました。
じめじめした川岸で ひきがえるは むすこといっしょに くらしていました。
なんとまあ むすこも みにくくて 母親と そっくりでした。
くるみのからのなかの かわいい女の子をみると、むすこは
「クワッコ ケックル クワッコ ケックル。」
と、いいました。
むすこのことばは そればかり。
「大声 だすんじゃないよ。この子が 目をさますじゃないか。」
年とったひきがえるは いいました。
「あの大きな すいれんの葉っぱに この子を のせよう。そうすれば にげられないさ。」
年とったひきがえるは いちばん大きな葉っぱのほうへ およいでいき、おやゆびひめの入った くるみのからを その上に おきました。



『おやゆびひめ』
発行:チャイルド本社 2003年4月初版
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:西本鶏介
訳:ふりやかよこ

余分な言葉を排除して、かなり短く仕上がってる作品。
ヒキガエルの装飾になっている、「みにくい」とか「湿った」などという表現も使われていません。

ある ばん、1ぴきの ひきがえるが まどから とびこんできました。
「おや、かわいい むすめだこと。うちの むすこの よめさんに ぴったりだ。」
ひきがえるは おやゆびひめが ねむっている あいだに ゆりかごごと かわの きにし ある じぶんの いえへ つれていきました。
おおきな すいれんの はっぱに おやゆびひめを のせると、すぐに むすこを よんできました。
「これが おまえの およめさんだよ。めを さまさないうちに けっこんしきの したくを しなくちゃ。」
「ゲンゲロ ゲッゲッゲ…」
ひきがえるの むすこは うれしそうに なきました。



『おやゆびひめ』
発行:フェリシモ出版 2001年12月5日初版(1994年スウェーデン刊行)
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:エルサ・ベスコフ
訳:石井登志子

擬人化した動物で画かれることが多い中、ベスコフ氏の絵は、完全にリアル系の動物たちで画かれてます。

ある晩、おやゆびひめがきれいなクルミのベッドでねむっていると、みにくいヒキガエルが窓からとびこんできました。
窓ガラスがわれていたのです。
ヒキガエルは、大きくて、みにくく、しめってじとじとしていました。
まっすぐテーブルの上にとびおりたのですが、そこには、おやゆびひめが、赤いバラの花びらの下でねむっているところでした。
「これで、うちの息子もきれいな嫁さんをもらえそうじゃ!」
というと、ヒキガエルはおやゆびひめがねているクルミの殻をかかえて、こわれた窓から、庭にとびおりました。
そばに幅の広い大きな川がありましたが、川べりは、じゅくじゅくと、泥沼のようになっていました。
ここに、ヒキガエルは息子とすんでいたのです。
おやおや、息子も、みっともなくて、みにくくて、母親にそっくりでした。
「コアックス、コアックス、ベレッケッ、ケー、ケックス!」
クルミの殻のなかの、かわいいおやゆびひめをみて、息子が口にしたのは、たったこれだけでした。
「そんない大きな声でじゃべるんじゃない、この子が目をさましちまうじゃないか!」
年をとった母親のヒキガエルがひそひそ声でいいました。
「にげていけるんだよ、この子は。ハクチョウの綿毛みたいに軽いんだからね。この子を川のなかの大きなスイレンの葉の上にのせてしまおう。こんなにちっちゃいいから、この子にとっちゃ、葉の上は、それこそ島みたいなもんだよ。そうすりゃ、にげだしたりできないさ。そのまに、あたしらふたりで、おまえたちがくらすことになる、りっぱな部屋を、泥のなかにつくってしまおう!」
川には、緑の、大きな葉っぱのスイレンがいっぱいはえていて、まるで川の上にうかんでいるようです。
いちばん遠くにある葉っぱがとりわけ大きかったので、ヒキガエルは、その葉っぱまで、およいでいって、おやゆびひめがねむっているクルミの殻を、その上におきました。



『おやゆびひめ』
発行:童話館出版 1996年3月15日初版(1995年デンマーク刊行)
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:スベン・オットー
訳:乾侑美子

カエルが表紙に採用されている貴重な一冊。
しかしながら、申し訳ないが、訳がよろしくない!
テーブルに「大きな」カエルが「どたり」と「とびおり」ると、小さくて軽い姫は跳び上がるくらいの振動があるだろうに。
日本語の表現に少し工夫が欲しいところ。

ある夜のこと、おやゆびひめがきれいな寝床でねむっていると、一ぴきのみにくいヒキガエルが、こわれていた窓からヒョイと、とびこんできました。
ヒキガエルが、ひどくみにくく、大きくて、ぬるぬるしていました。
ヒキガエルは窓から、どたりとテーブルの上にとびおりましたが、ちょうどそこに、おやゆびひめが、赤いバラのはなびらをかけてねむっていました。
「この子は、わたしのむすこの、かわいいおよめさんにちょうどいい!」
ヒキガエルはいって、おやゆびひめがねむっているクルミのからをつかみ、そのまま窓をとびぬけて、庭へおりました。
そこには、大きな広い川がながrていて、岸にはじめじめした沼地がひろがり、ヒキガエルは、むすこといっしょに、その沼地にすんでいました。
やれやれ!そのむすこというのも、みにくくて、きたなくて、母親そっくりでした。
むすこは、クルミのからのなかの、かわいい女の子を見ても、
「クワッ、クワッ、ケケケケー!」
と、いっただけでした。
それしか、いえなかったのです。
「そんなに大きな声をだすんじゃないよ、この子が目をさますじゃないか!」
母親のヒキガエルがいいました。
「この子は、わたしらのところから、にげていってしまうかもしれないよ。まるで白鳥のむねの毛のようにかるいんだから!そうだ、この子を、川のなかの、大きなスイレンの葉の上にのせておこう。こんなに小さくてかるいんだから、この子にとっては、そのスイレンの葉は、まるで島みたいなものさ!とてもにげだせやしないよ。そのあいだに、わたしらは、りっぱな部屋を土のなかにつくることにしよう。おまえたちはそこでくらすんだよ!」
川のなかには、スイレンがたくさんしげっていて、みどり色の大きな葉が、水の上にうかんでいるように見えました。
なかでもいちばん大きな葉が、いちばんとおくにありましたが、母親のヒキガエルは、その葉のところまでおよいでいって、おやゆびひめのねているクルミのからを、その上にのせました。



『おやゆび姫』
発行:西村書店 1991年5月15日初版(1990年スイス刊行)
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:バーナデット・ワッツ
訳:大庭みな子

この表紙を見たとき「パム&ケロ」のケロか!!
というくらい、似てて驚いた。(パム&ケロの方が出版が後だけど)

さて、翻訳の校正がおざなりな感じ。
クルミの「ベッド」といったり、「から」といったり。
ヒキガエル母さんの容姿の描写はないのに、息子のことは「母さんとそっくりのみっともない」といったり。
また、スイレンに運ぶ描写はない。

ある晩、おやゆび姫がクルミのベッドでねむっていますと、いっぴきのヒキガエルがこわれた窓ガラスからピョンとへやの中にとびこんできて、おやゆび姫のねむっているテーブルの上にどさりと乗りました。
「おや、これはまあ、うちの息子にちょうどいいお嫁さんじゃないか」
とヒキガエルはいい、おやゆび姫のねむっているクルミのベッドをかかえて、窓からピョンと庭に飛びおりました。
庭のはしっこには、川がながれていました。
その川の岸はしめった泥沼で、ヒキガエルはそこに息子といっしょにすんでいるのでした。
お母さんとそっくりのみっともない息子がクルミのからにねむっている小さなおやゆび姫を見たときに、いった言葉といったら、
「ゲロッ、ゲロッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ」
それきりでした。
「大きな声をだすんじゃないよ。目をさましてしまうじゃないか。にげだしてしまうよ。そうだ、こうしよう、ひとまず、この子を川の中にういている大きなスイレンの葉っぱに乗せておくことにしよう。そしてそのあいだに、あたしたちは泥の中におまえの新しい家をつくろうじゃないか」
ヒキガエルのお母さんはいいました。




『親ゆびひめ』
発行:CS成長センター 1991年2月15日初版(1989年デンマーク刊行)
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:トリル・マレ・ヘンリクセン
訳:中嶋典子

ヘンリクセン氏の絵は、エッチングみたいな画き込みです。
割れた窓から入ってくる絵が、なかなかよいです。

あるばん、みにくいひきがえるが1ぴき、まそからとびこんできました。
そして、くるみのベッドの中でぐっすりねている親ゆびひめを見ていいました。
「おや、なんてかわいい女の子だろう。むすこのよめにぴったりだ」
ひきがえるは、親ゆびひめをくるみごとひっかかえ、まどから外にとびだしました。
そこには大きな川がありました。
ひきがえうrが、そのきしべのすぐ近くのどろぬまに、むすこと2人ですんできたのです。
むすこがえるもおかあさんとそっくり!
なんてみにくいんでしょう。
「ケロケロ、ゲゲゲ」
かわいい親ゆびひめを見ても、たったそれしかいえません。
「おだまり!おこしていまうじゃないか」
おかあさんがえるはいいました。
「さあ、すいれんのはっぱにこの子をのせておくことにしよう。そうすりゃあ、にげだせないからね。わたしたちは、おまえたちがくらせるように、どろぬまの家をきれいにかたづけようじゃないか」
川には、すいれんのはっぱがたくさん生えていました。
おかあさんがえるは、いちばん大きなはっぱの上に、くるみごと親ゆびひめをおきました。




『おやゆびひめ』
発行:かど創房 1982年12月初版(1980年ドイツ刊行)
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:リスベス・ツヴェルガー
訳:佐久間彪

今のところ、この佐久間彪氏の訳が、華美な演出とかなくて、一番好みの日本語です。
こちらの底本は、ドイツ出版のモノ。
リスベス・ツヴェルガーの絵は、少し大人びた少女で画かれています。
2013年江國氏の新訳で再刊されてますが、再版は絵が反転しています。

ある夜のことです。
おやゆびひめがくるみのゆりかごにねていると、気味の悪いひきがえるが窓のところにとびはねてきて、中にはいりこみました。
あいにく、窓ガラスが割れていたのです。
大きくて、みにくい、ぬらぬらしたひきがえるがテーブルの上にとびうつると、そこには、おやゆびひめが赤いバラの花びらをかけてねていました。
「こりゃ、うちの息子の嫁にちょうそいい。」
ひきがえるはそういって、おやゆびひめのねているくるみの殻をかかえこむと、また窓から外へとびはねていきました。
ひきがえるが帰っていったところは、広い小川がながれていました。
岸辺はずぶずぶして沼のようでした。
ひきがえるの親子は、そこに住んでいたのです。
ひきがえるの息子のこれまた気味の悪いこと、母親そっくりでした。
「くわ、くわ、げ、げ、げ、げ。」
くるみの殻にねているかわいらしい女の子を見たとき、ひきがえるの息子がいえたことはこれだけでした。
「しっ。大きな声をだすんじゃないよ。目をさますじゃないか。」
母親のひきがえるがあわてていいました。
「にげていっちまったらどうするんだい。なにしろ、白鳥の胸毛みたいに軽いんだからね。そうだ。川の睡蓮の葉っぱにのせておこう。軽くてちっちゃいこの子にゃ、あれでも島みたいなもんだから、にげだしたりできないさ。そのあいだに、沼でおまえたちが住む部屋をちゃんと用意しておこう。」
小川には睡蓮がたくさんはえていて、大きい緑色の葉が水の上に浮かんでいました。
いちばん遠くにあるのが、いちばん大きな葉だったので、母親のひきがえるはそこまでおよいでいって、おやゆびひめのはいっているくるみの殻をのせました。



『おやゆびちーちゃん』
発行:福音館書店 1967年12月20日初版
作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:堀内誠一
訳:木島始

この短い童話にもかかわらず、74ページのボリューム!に仕上げています。
挿絵が豊富で、作中の風景や情景をイメージするにのすごく役立つ一冊。
普通、カエルシーンの挿絵は1ページくらいなのに、なんと3ページもカエルが登場!
それだけでも見る価値あるかも。
しかしながら、翻訳がクドいです。

ある晩のこと、オヤユビチーチャンが、そのきれいなベッドでねていると、窓ガラスのこわれたところから、いやらしいヒキガエルが、とびこんできました。
それは、大きく、みにくい、ぬらりとしたヒキガエルでした。
そいつは、ヤユビチーチャンが赤いバラの花びらの下でねているテーブルのところへ、まっすぐ、とびおりてきました。
「この子は、むすこのすてきなお嫁さんになるな。」
と、ヒキガエルはかんがえました。
そして、ヤユビチーチャンのねているクルミのからをかかえると、窓から庭のほうへ、とびでていきました。
庭には、ゆったりとした小川がながれていましたが、この川べりは、じめじめして、ぬかるんでいました。
そう、ここに、ヒキガエルは、むすこといっしょに住んでいるのでした。
やれやれ!このむすこも、みにくくて、きもちがわるくて---まるで、おかあさんそっくり!
「ギャッ、ギャッ、ゲロゲロロッ!」
クルミのからのなかのきれいなかわいい女の子を見ても、このむすこは、たったそれだけしか、いえないのでした。
「しいっ!そんな大声だすんじゃないよ。この子が目をさますじゃないか。」
と、ばあさんヒキガエルは、いいました。
「走って逃げていっちまうかもしれないよ、なにしろ白鳥の綿毛みたいに軽いんだから。小川のなかの、ほら、あの平べったいスイレンの葉っぱの上に、のせとこう。この子は、とてもちっちゃくて軽いから、葉っぱだって、島みたいなもんさ。あそこから、逃げてけやしないよ。そのあいだいに、わたしたちは、どろの下に、おまえたちふたりの住める、いっとういい部屋を用意するとしようよ。」
小川には、平べったい緑の葉っぱをつけたスイレンが、たくさんはえていて、それらは、まるで水面に浮かんでいるみたいでした。
なかでいちばん大きな葉っぱは、いちばんとおくにありましたが、ばあさんヒキガエルは、そこまで泳いでいって、あいかわらずねむったままのヤユビチーチャンを、クルミのからのベッドごと、その葉っぱの上におきました。



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「摩以亜物語(まいあものがたり)」
発行:赤い鳥社 1919(大正8)年11月、12月、1920(大正9)年2月 初版
(第3巻第5号、第3巻第6号、第4巻第2号)
原作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン
絵:清水良雄
訳(創作):鈴木三重吉

『赤い鳥』は、大正7年に、童話と童謡を創作する文学的運動として、鈴木三重吉が創刊した雑誌。
『赤い鳥』に3号にわけて掲載されている。
最後の第4巻第2号のみタイトルが「小さな摩以亜」となっている。
原作では、「小さい」という意味の「おやゆびひめ」と呼ばれていたが、最後に王さまに出会い、「マイア」と初めて名づけてもらうのだが、本書では、最初からマイアと名前付けられている。
冒頭で女の人の寂しい心情を詳しく描写し、種を手に入れるまでに2頁も費やしたり、カエルにさらわれたマイアが『お母さまァ、お母さまァ』と呼ぶなど、原作に書き加えを行い、鈴木三重吉独自の作風に仕上がっている。

さうすると、間もなく、気味の悪い大きな、ぶざまな蛙が一匹、びしょびしょにぬれた体のまんま、のこりと窓から這入ってきました。
その蛙は、小さな小さなマイアが、小さな小さなお寝床のなかですやすやと眠っているのを見つけだしますと、
「これはこれは、まあ何といふかはいらしい子だらう。これは私の息子のお嫁に丁度いい。どら、早速もらって行きませう。」
と、ずいぶん勝手なことえお言ひながら、いきなりそのどん栗の殻ごと口にくはへて、ぴょいぴょい飛んでかへりました。
それは蛙のお袋でした。
その蛙のお家は、ぢきそばの泥沼の中にありました。
いやな蛙のお袋は、その沼のふちまでかへりますと、盗み出すやうな小さな声で、
「おいおい、一寸来て御覧。ほうら、こんな可愛い可愛いお嫁をもらって来てやったよ。」
と、若い息子の蛙をよびました。
子蛙は、泥水の底から上がって来て小さな小さなマイアのお顔を覗くと、
「おお、きれいな女の子だね。
その人を私のお嫁にしてくれるの?
おおうれしいうれしいグワッグワッグワッグワッ。」
と、大きな声を立てて大さわぎをしました。
「これこれ、しづかにおし。
下手に目をさまされるとこれッきりぢゃないか。
どうだい、気に入ったらう。
ふッふッふ。
併し私(わし)が二人の御婚礼の支度をすますまでは、この子をどこかこれなら大丈夫だといふところへおしこめておかねばなるまい。
うっかりして、逃げ出されでもすると、それこそ取りかえしがつかないからね。」
お袋はかう言ひながら考えて、間もなくまた殻をくはへて近くの或小川へ飛んで行きました。
そして、殻を一寸もぬらさないやうに上手に水の中を泳いで、その流れの真ん中ほどに浮かんでいる、睡蓮の葉の上へ、そっと乗せておきました。

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